願いが叶う場所

「茜ちゃ〜ん、まだ着かないの〜?」

「はい」  

手に持つ地図を端から見たら無感情な瞳で見下ろしつつ、茜は拗ねたみさきに淡々と頷いた。  

頷いた茜は一見普段通りだが、実際は腸が静かに煮えていた。

激しく煮えたぎりはしないがぽこぽこと沸騰し続けている、そんな状態だった。

「浩平に貰った地図がでたらめなので、現在位置すら分かりません」  

みさきには言わないが、本当は全くのでたらめではなかった。が、目印の全くない、大きい通りしか描かれていない鏡写しの地図など、でたらめと同義だった。  

思わずため息が漏れてしまった。全く、いくら大切な彼とはいえ、あのイタズラ好きの浩平を全面的に信じた自分が馬鹿だった。

「どうしよう」  

みさきが泣き言を口にする。自分が聞きたいとは思うが、引き返す気はさらさらなかった。浩平が今いる町にあるパン屋で買ってきたパンを食べたい。その為だけに、茜たちはこの町を訪れたのだから。  

幸い、帰りに使う駅を指し示す看板は幾つか見つけてある。帰る方角も覚えている。だから最悪でも帰ることは出来るはずだ。なら、行くしかない。  

ふと、聞き慣れない音が聞こえてきた。 「何の音だろう」  時々酷い音が混じって聞こえるが、楽器の音だろうと何となく分かった。

「こっちから聞こえてくるね」  

みさきはそう言って目の前の生け垣の隙間を指すと、まるで見えているかのように潜り込んでしまった。  

気付いたときには姿がなかった。

「全く・・・」  

手のかかる先輩だ。口の中で呟き、みさきの後を追った。  

せめて不法侵入を謝れば許して貰えるような、心の広い人のお宅であって欲しい。そう願いつつ、生け垣を潜る。  

抜けた先は、色とりどりの花が咲き乱れている綺麗な庭だった。  

整然と草花が植えられた花壇。綺麗に駆られた真っ青な芝。真っ白のテーブルと椅子。その庭の中心にある椅子に座る、二人の黒髪の美少女。  

一人はウサミミを生やした一人の少女。もう一人はみさきだった。が、何故かテーブルに突っ伏して寝ている。寝顔は少し苦しそうだ。そんなみさきを、ウサミミ少女は穏やかな目で見つめていた。  

ウサミミ少女は直ぐに新たな闖入者である茜に気付いたらしく、芝を踏むと直ぐさま立ち上がって茜に向き直り、

「いらっしゃいませなの」  

ぺこりと頭を下げてきた。  

茜もつられて頭を下げる。

「えっと、あなたは?」  

何故そんな耳を付けているの、とは一応聞かない。何となく、聞かないほうがいい気がしたからだ。嫌な予感がする。

「私の名前は一ノ瀬 ことみ。ひらがな三つでことみ。呼ぶときはことみちゃんなの」  

よろしくなの、と再び頭を下げることみというウサミミ少女。

「私は、里村 茜です」  

ことみに倣って再び頭を下げる。けど、ここで自己紹介して何になるのだろう。そう思い、ふと当初の目的を思い出した。地元人の彼女なら、パン屋がどこにあるのか知っているかもしれない。

「あの、この辺りに古河パンというお店がある筈なんですが、ご存じですか?」

「知っているの。お友達の家だから、案内してあげるの」

「いえ、そんな迷惑では・・・」  

場所さえ教えて貰えればそれでいい。それに、ウサミミ少女と町を歩くのは気が引ける。正直なところ、恥ずかしいから勘弁して貰いたかった。

「いいの。でもその代わり、魔女っ子さんを探すのを手伝って欲しいの」  

彼女は頭がおかしいのだろうか。第一、魔女っ子って何?魔女とは違うのだろうか。先程から感じている嫌な予感がじわじわと増していく。

「だめ、なの?」  

うるうるした瞳に見つめられる。これでは断るに断れない。  

はぁ、ことみに聞こえるような大きな溜め息を吐き、分かりましたと頷いた。

「ありがとうなの」  

三度頭を下げることみ。  

仕方ない。確かに案内してもらえるのは有り難い。人捜しは面倒だけど、魔女っ子と呼ばれる人が実際にいるとは思えない。だから適当に探して見つからなかった、と言えばいいだろうと算段を付ける。

「みさき先輩、行きますよ。起きてください」  

出発すると決まれば、みさきを起こさないわけにはいかない。呼びかけ、軽く肩を揺する。が、何の反応もなかった。熟睡しているらしい。

「ヴァイオリンを聞かせてあげたら寝てしまったの」

「・・・・」  

さっきの音はヴァイオリンだった。どうでもいいことだけど、知識として一応記憶に留めておく。  

それはともかく、どうしたものだろう。起きそうもないけど、ずっとここで寝かせておくわけにもいかないから、起こさないわけにもいかない。

「疲れているみたいなの。だから、休ませてあげたいの」  

茜の思考を、ことみはやんわりと遮った。

「古河パンは直ぐ近くなの。だから、帰りにまたここによればいいの」  

ことみはそう言うと、タオルケットをみさきに掛けた。何時準備したのか、全く気付かなかった。

「行きましょう」  そう言って、ことみは茜が待ってください、と言う前に玄関に向かって歩き出してしまった。  

でも確かに、盲目のみさきが見知らぬ町を探索して疲れないはずがない。

「ふぅ」  

大きく息を吐く。仕方ない。ここはことみの好意に甘えよう。  

そうと決まれば、と茜は庭から出て行ったことみの後を急いで追いかけた。  

ここはどこなのだろう。考えても答えが出るはず無いのに、何度も考えてしまう。  

初めにことみのウサミミを見たとき、彼女はそういう趣味の人なのだと思った。だが・・・

「うぐぅ〜」

「往人さ〜ん、助けて〜」  

門から出た直後に目の前を通り抜けていった、たい焼きをくわえて情けない悲鳴を上げながら、背中の大きな翼で地面から一メートルほどの高さを飛んで逃げる二人の少女と、

「待て・・・」  

鈍く光る西洋刀を片手に二人の翼人を追いかける、ことみと同じようなウサミミを生やした少女。と、ことみ以外にも動物の耳や翼を付けた人間に出会ってしまったのだ。  あの二人、何故もっと高く飛ばないのだろう、と冷静に現実逃避してみる。が、例え一メートルだろうと、人が空を飛ぶ時点で現実がおかしい。  

偶然通りかかった三人が三人とも、たまたまことみと同じ趣味の人だった、と考えるのはこじつけにしかならない。だとすると、自分は夢でも見ているのだろうか。それとも、おかしな世界に迷い込んでしまったのだろうか。  

考えても答えは出ない。だから茜は開き直り、もしくは食べ物への執念か、当初の目的通り古河パンに向かっていた。  

それでも考えてしまうのはどうにもならなかった。  

ことみの言う通り、目的の古河パンは彼女の家の近くだった。

「ここが古河パン、渚ちゃんのお家なの」  

外から見た感じは、在り来たりな町の小さなパン屋だった。

「ごめんくださいなの」  

挨拶をして店に入ることみに続き、茜は無言で続いた。

「いらっしゃい、ことみちゃん」  

ことみの友達だろう、黒いネコ耳を生やした少女がことみに近づいてきた。

「渚ちゃん、こんにちはなの」

「こんにちはです」  

頭を下げあう二人を見てても仕方ないと視線を奥に向けると、渚とお揃いのネコ耳を生やした女性が、黒マントに黒いとんがり帽という出で立ちの二人の女性と話をしていた。もっとも二人組の片割れは、ネコ〜ネコ〜と涙声で呟いているだけなのだが、その声は茜には聞こえてこなかった。

「えっと、こちらの方は?」

「ここのお店を探していたから、連れてきたの」

「そうなんですか、ありがとうございます」  

渚はことみにお礼を言うと、すたすたとトングとトレーを手に茜の元にやってきた。

「どうぞ、お使いください」

「ありがとうございます」  

奥の黒マントたちが少し気になるけど、とりあえずパンを選ぼう。ぐるりと見回す。

「・・・・」  

アンパン、竜太サンド、豆パン、ヒトデパン、ジャムパン、レインボーパン、せんべいパン、メロンパン、どろり濃厚ジュースピーチ味使用メロンパン、蜂蜜練乳パン、たい焼きパン、・・・・・オーソドックスなものの中に、変なパンが混じって並んでいた。

「あの、あれは・・・・」  

あれらは何?と店員である渚に聞こうとしたが

「お母さん特製のパンです。どれもとっても美味しいですよ」  

渚は茜が言い終わる前にニコニコ笑顔で答えてくれた。  

本当に?思わず聞き返したくなる。  

どろり濃厚ジュースピーチ味入りパンやたい焼きパンは甘くて美味しそうだけど、見た目からはなんだか分からない竜太サンド、毒々しいほど目に鮮やかなレインボーパン、せんべいを具にしたパンなんかは、果たして食べられるものだろうか。  

売り物だから食べられるはず、と何度も心の中で唱えるが、手を出す気にはなれなかった。とりあえず、当たり障りのないアンパンなどの菓子パンや普通の調理パンをトレーに乗せ、ついでにどろり濃厚ジュースピーチ味入りパン、蜂蜜練乳パんを二つずつ乗せた。  

あとは・・・ 「あの、丁度今、新作が出来たんです。よかったら味見して貰えませんか?」  

後ろから声をかけられて振り向いてみると、そこにはさっきまで奥で話をしていた店員さんと黒マントの一人がにこやかな笑顔を浮かべて立っていた。  

どうぞ、と差し出され、条件反射で四分の一らしい試作パンの切れ端を受け取る。黄色いジャムが入ったシンプルなパンだった。  

見た目には害はなさそうだ。が、何故かパンを受け取ったとき、背筋に冷たいものが走った気がした。

「ジャムパンのようですが、何ジャムですか?」

「企業秘密です」  

黒マントが悪戯っぽく笑って答えた。

「こちらの秋子さんが下さったジャムを使ったパンなんですが、私にもなんのジャムなのか教えてくれないんですよ。味見した渚も教えてくれませんし・・・・。ですから、どんな味なのか教えてくださいね」

「お客に毒味させないでください」  

そう言いつつ、とりあえず口に入れてみる。やばそうな気がするけど、とりあえず死にはしないだろう。甘いといいな、と少し思う。  

けれど、その考えは甘かった。  

甘くなかった。いや、上手い不味い以前に、形容もできないような食べ物ではない奇っ怪な味だったのだ。本当に自分の考えが甘かったと痛感した。売り物以前の代物だった。

「どうですか、美味しいですか?」  

にこやかな笑顔で、店員はそんなことを聞いてきた。答えたくない。思わず顔が引きつってしまった。悟られてはまずいと、視線を店員から逸らす。

「私のパンは、私のパンは・・・」  

その茜の反応を悪い方にとったらしい。

「言葉に出来ないほど不味いんですね〜」  

急にぶわっと涙を溜めたかと思うと、一目散に外に駆けだしていってしまった。

「私はお母さんのパンは好きですっ」  

そんなことを口走り、渚も店員の後を追って店から出て行ってしまった。

「あらあら・・・」

「渚ちゃん、元気なの」

「ネコさ〜ん、行っちゃぁやだ〜」  

それぞれに呑気なことを口にする、ウサギ娘と黒マントたち。

「それでキツネさん、ジャムパンは惜しかったですか?」  

キツネ?だれのことを言っているのだろう。けれどジャムパンを食べたのは、この場には茜しかいない。

「私のことですか?」

「その大きなお耳はキツネさんだよね?」  

もう一人の黒マントが答え、小さな手鏡を茜の前に差し出してきた。

「・・・・」  

確かに、自分の頭にキツネの耳が生えていた。手で耳に触れるとくすぐったくて、ついびくんと動かしてしまう。  

え?飾り物ならくすぐったいはずが、動くはずがない。  

試しに耳をねかそうと考えると、直ぐさま耳が横たわった。本当に自分に生えているらしい。  

自分はどうしてしまったのだろう。確かなのは、原因があのジャムということだ。

「この耳、何とかしてください。あのジャムは、あなたが作ったものなら、何とか出来ますよね?」  

出来ないと困る。その意志を乗せ、絶対零度まで冷やした視線を黒マントに突きつける。

「ごめんなさいね。私にも無理なの」  

その視線を暖かい笑顔で受け止め、ばっさりと言い切ってくれた。

「ですが、魔女っ子さんなら何とかしてくださると思いますよ」  

魔女っ子。どこかで聞いた言葉だ。

「あなたは魔女っ子さんがどこにいるか知っているの?」  

そう、ことみが一緒に探して欲しいと言っていた人だ。

「住んでいるところは知りません。ですが、困っている人を助けるのが彼女の職務ですから、どこにいてもきっと助けてくれますよ」  

頼りになりそうだけど、答えになっていない。

「魔女さんならどこにいるのか知っていると思ったんだけど、残念なの」  

しょんぼりとしょげかえることみ。  

面倒なことになってしまった。こんなことなら来なければよかった。とりあえず浩平を逆恨みしておく。  

情報の全くない魔女っ子探しを真面目にやらないといけないとは・・・・。探す前から気が滅入ってしまう。

「あぅ」  

せめて鬱屈した気分をはき出すかのように、茜は今日何度目かのため息を吐いた。  

ひとまずことみの家に帰ってきた茜は、買ってきたパンを庭のテーブルに置いた。せっかく来たのだからと、半ばヤケになって色んなパンを買ってきたのだ。無作為に買ってきたから、見るだけで後悔しそうなパンも買ってしまったかもしれないが、それらはこの事態の責任を取らせる意味でも浩平に与えるつもりだ。  

みさきはまだ寝ていた。もっとも、いくらみさきの目が見えないとはいえ、今の自分の状態を考えると寝ているほうが有り難かった。

「ことみさん、心当たりはありますか?」  

ふるふる。  

やっぱりと思う。期待していなかったから気落ちはしない。けど、闇雲に探しても多分見つからないだろう。  

どうしたものか。

「困りました」  

ぼそりと呟く。

「お困りですか」  

するとどこからともなく、幼い、けれどハキハキした声が返ってきた。

「誰ですか?」  

辺りを見回すが、誰もいない。ことみに視線を向けると、 「私じゃないの」 ととぼけたことを言って首を振った。

「ここです」  

茜の問いかけに答えるには少し遅い声が、花壇の向こうから聞こえてきた。そちらを見ると、ガサガサと大きな音を立て、黄土色の制服を着た、犬耳を生やした小柄の少女が木々の間から現れ、その瞬間、 「うわぁ〜」  

少女は雷に撃たれた。  

ひょっとして魔女っ子?と思っていた茜は、突然の出来事に唖然としてしまった。困った、と言う単語に反応して現れた人物が、青天の霹靂によって真っ黒焦げになったのだ。 「最悪です。真っ黒焦げになってしまいました」  

その異様に元気な言葉を最後に、黒焦げの少女は長い髪を結わえた消し炭のリボンを揺らして走り去ってしまった。呼び止める間もなく、少女は見えなくなった。

「出番がないからといって、強引に出ようとするからですよ〜」  

突然、空から声が降ってきた。  

見上げると、学校の制服らしい服を着た少女が、星飾りが付いた杖に上品に腰掛けて空に浮いていた。  

茜の視線に気付いてか、彼女は頭の大きな緑のリボンとスカートをはためかせて下に降りてきた。茜からスカートの中がちらちらと見えた。中の色は、 「あははー、言ったら駄目ですよ」  

見えなかったことにした。  

さておき、少女は地面まで後一メートルほどの高さまで来ると、ふわりと音もなく優雅に地に降りた。

「魔女っ子さゆりん、参上です」  

ビシッとポーズを決めるさゆりん。  

さゆりんにニコリと笑いかけられ、けれどこの数時間に変な人ばかりに会ってきた茜は、そうですかと頷くだけでほぼ無反応だった。それでも内心では、耳を何とかしてくれそうな人物に会えてとりあえずホッとしていた。  

何の気もなくことみの顔を見やると、ようやく会えた魔女っ子に、嬉しそうな顔を向けていた。

「それでお二人は、佐祐理にどんなご用ですか?」  

二人とも願い事は決まっている。けれど、杞憂だろうけど一つ心配があった。 「茜ちゃん、お先にどうぞなの」 「いえ、ことみさんからどうぞ」  だからことみに一番手を譲った。 「いいの?」 「はい」  譲り合いをする茜たちに、さゆりんはあははー、と穏やかに笑んだ。 「心配しなくても、お二人とも願い事を叶えて差し上げますよ。邪な願いは叶えませんが、邪な想いで佐祐理を呼ぶことは不可能ですから、多分どんな願いでも叶えますよ」  と言われても、同時には叶えられないだろうと、早く願いを言うようにことみを促す。 「それと茜さん。心配なさらなくても、佐祐理の腕は確かですからね」  ばれていた。それとも心を読まれていたのだろうか。 「あはは〜、読心術は得意ですよ」 「願いを聞く必要はあるのですか?」  まどろっこしい事をせずに早く叶えて下さい、と念を込めて聞いてみる。 「ありますよ。口に出せるほど強く、誰が聞いても叶えてあげたくなるような純粋な願いを叶えるのが佐祐理の使命ですから」  見知らぬ犬耳少女に躊躇いもなく落雷の魔法を使ったさゆりんの姿を見ている茜は、彼女の理由を素直に納得できなかった。 「茜さんのお願いは雷ですか。どの程度の強さがお好みですか?」  不審の念を抱いたからだろうか、満面の笑顔で物騒な言葉を投げかけられてしまった。彼女の手にある杖の先端の星が、時折雷火を噴いている。本気だ。 「遠慮します」 「そうですか、残念です」  助かりました。さゆりんにはバレているだろうが、茜は内心胸を撫で下ろした。 「ではことみさん。願いはなんですか?」  改めてことみに尋ねる佐祐理。彼女が読心術を持っていると知ってから見ると、一種の儀式とはいえ彼女の態度はわざとらしかった。 「このお庭に、雨を降らせて欲しいの」 「雨、ですか?」  何故雨を降らせて貰いたいのだろう。少しの興味から、つい聞いてしまった。 「このところ雨が降っていなかったから、どのお花も木も元気がないの。だから、雨でみんなを元気にして貰いたいの」  さゆりんの好きそうな純粋な願いだと思った。  改めて庭を見回すと、確かにどの植物も萎れ気味だった。草花なら如雨露でどうにかなるだろうが、それなりに大きい木々には雨が欲しいかもしれない。 「分かりました。では、その願いを叶えましょう」  言葉と共に、さゆりんはポケットから小さな天使の人形を取り出した。 「人形に残された約束の奇跡よ。その最後の一片を持って叢雲を喚ばん」  言葉と共に天使の人形がうぐぅ〜と悲鳴を上げて消え去り、空は急速に曇っていった。  茜もことみも驚きに目を見開き、呪を唱え続けるさゆりんを見守る。 「来たれ叢雨」  一瞬の間を置き、 「雨なの〜」  ことみが諸手を挙げて喜ぶほど、 「わ〜、冷たいよう」  テーブルで熟睡していたみさきが飛び起きるほど、 「・・・・」  茜のお下げが水気を吸って一瞬でしぼむほどの大雨が降ってきた。 「はえ〜、強すぎました」  困った風に笑うさゆりんだが、彼女はいつの間にかビーチパラソルのような大きな傘をしており、一人だけ全く濡れていなかった。 「当たり前です」  雨すら凍らせる視線をさゆりんに突き刺す。端から見ていたことみやみさきは視線の余波でブルリと震えたが、さゆりんは気にしてくれなかった。  あぅ、溜め息しか出ない。さゆりんは叢雨を降らせる呪を唱えていた。叢雨とは簡単に言えば俄雨のこと、だからこの大雨は当然の結果なのに・・・ 「雨が降ってよかったの」 「ちょっと冷たいけど、直ぐ乾くよね」  茜以外はさゆりんに追求する気はないようだった。回りの呑気な反応には溜め息すら出なかった。  けれど魔法で降らせたとはいえやはり叢雨、止むのも早い。直ぐに弱くなっていった。 「ありがとうなの、さゆりんさん」 「どういたしまして」  ぺこりとお辞儀をすることみにさゆりんは微笑みかけると、次にみさきに視線を向けた。 「あなたは佐祐理に何かお願いがありますか?」 「う〜ん・・・・」  何をお願いするのだろう。光のない目を治して貰う?それとも食べ物? 「喉が渇いたから、何か飲み物が欲しいかな」  予想と五十歩百歩の答えだった。 「飲み物ですね〜、出でよ、飲み物」  ぼんっとテーブルの上に幾つかのラベルが貼られたコップが現れた。 「・・・・・まともなものが有りません」  以前浩平に飲まされた致死量のあるジュース、どろり濃厚ジュース・ピーチ味、バナナ味etc、謎ジャムティーなど、おおよそ普通の人が飲みたがらないジュースが並んでいた。 「あ、ありがとう」 「どういたしまして」  少し困惑気味のみさきのお礼に、さゆりんは満面の笑顔を返した。さゆりんはこの人にこうすればこういう反応を示すと分かっていて、その形で願いを叶えているのかもしれない。 「それで茜さんの願いですが、そこの生け垣の隙間から元の世界に帰れば謎ジャムの効果が切れてキツネ耳は消えますよ」  ことみやみさきには行っていた儀式をすっ飛ばすだけでなく、みさきに耳のことばらしてくれた。  みさきには知られたくなかったのに、と歯がみする。間違いなく、さゆりんは読心術を悪用していた。人当たりのいい笑顔だが、かなり質が悪い人物のような気がした。 「キツネ耳?」 「なんでもないです」  目が見えていないことを良いことにしらばっくれる。が、 「今の茜さんには、こんな風にキツネの耳が生えているんですよ」  言葉に、さゆりんが何かをしでかす気配が伺えた。 「みさき先輩、帰りますよ」  何かされる前に、茜はさゆりんの言葉が正しいと願いつつ、生け垣に向かった。 「え?でも、古河パンは?」 「先輩が寝ている間に買ってきました」  呑気なみさきに苛立つ茜は、みさきを怯えさせるほどに冷たい口調で答えを口にした。 「そ、そうなんだ」  あまりにも冷たい口調に、みさきは思わず足を止めてしまった。 「また来てほしいの」 「嫌です」  寂しそうなことみの呟きに、八つ当たりのようなひと言を叩き付けた。 「あははー、また会いましょう」 「絶対に嫌です」  楽しそうなさゆりんに、二言で切り返す。が、多分彼女には通用していないだろう。 「待ってよ、置いていかないでよう」 「嫌です」  みさきにすら同じひと言で切り返した。もっとも、キツネ耳がばれて欲しくない茜は、本当に待つ気はなかった。 「え〜、そんなぁ〜」  みさきの声を背後に、茜は生け垣の隙間をくぐり抜けた。  そして茜は、元の世界に帰ってきた。 「あの時ね、ことみちゃんにヴァイオリンをきかせて貰っていたんだけどね。急に変な音が鳴ってね。次に気がついたときには雨が降っていたの」  帰ってから聞いた話だが、どうやらあの時、みさきは寝ていたのではなく、ことみの弾くヴァイオリンの失敗音を聞いて気を失っていたらしい。今更どうでもいいけど、近くで聞かなくてよかったと思った。  そして問題のキツネ耳は、生け垣をくぐり抜けた瞬間に消えてしまった。一応、さゆりんの言葉は正しかった。  買ってきたパンは美味しかった。あの地図のことは浩平も謝ってくれた。どうやら浩平の地図はあのおかしな世界で描いた物らしく、あの世界ではちゃんと通用するいう話だった。だから、浩平が説明を忘れなければ、でたらめの地図ではなかったようだ。  目的のパンも買えたし無事に帰って来られたし、めでたしめでたし。 ・・・・・とはいかなかった。なぜなら・・・ 「佐祐理さん、私の浩平から離れてください」  絶対零度の視線で、浩平の横にいる原因を睨む。 「あははー。茜さん、そんな恐い顔しないでください。皺が増えますよ」  肩口に着いた氷を払いつつ、それは茜に笑いかけてきた。 「茜、ちょっと落ち着け・・・また、雷落とされるぞ」 「もう浩平さんったら。茜さんと違って、佐祐理はそんなこと出来ませんよ。それより、はい、あ〜ん」  さゆりんこと倉田 佐祐理が、茜たちと同じクラスに転校してきてしまい、あまつさえ、浩平を魔法と色気で誑かしているからだ。 「あ、あ〜・・」  佐祐理が浩平の口に入れようとしていた卵焼きを睨みつけ、カチコチに凍らせる。 「がきっ」  浩平が氷を噛んだ。小さな白い欠片が口の中から飛んできた。 「いくら浩平がお人好しでも、今のは酷いです」 「好きな人を盗られた僻みですか、茜さん」 「泥棒魔女っ子に言われたくありません」 「茜さんもその魔女っ子ですよ」  そう、佐祐理の言うとおり、何故か茜は魔女っ子なっていた。原因は、一つしか思い浮かばない。  魔法は凝視で物を凍らすだけだが、どんな物でも、佐祐理すら凍らすことが出来た。もっとも、佐祐理は解呪が出来てしまうからあまり意味はないが。 「浩平、そんな氷漬けより、茜のお弁当をどうぞ」  浩平の前に弁当を差し出す。手を引く刹那、雷が落ちて弁当が消し炭に変わり果ててしまった。 「浩平さん、そんな消し炭弁当より、佐祐理のお弁当をどうぞ」  一体いくつ準備してあるのか、机の上の佐祐理の重箱弁当は手の付けられていない物にすり替わっていた。 「佐祐理ちゃんも茜ちゃんも、仲良く食べようよぅ」  仲を取り持とうと茜たちに声をかけるみさきだが、彼女は一人、我関せずとせっせとカレーを食べていた。  六つの瞳がいっせいにみさきに向けられた。 「先輩、逃げたほうが・・・」  不穏な二つの気配を察し、みさきに忠告する浩平。だが、時すでに遅し。 「氷漬けカレーと」  浩平の言葉を遮るように淡々と茜が呟き、 「消し炭カレー」  佐祐理が楽しそうに繋いだ。 「「どちらがお好みですか?」」  そして見事に口を揃えてみさきに訪ねた。こういうときだけ、茜と佐祐理は気があった。 「どっちも遠慮ぅしま〜す」  二人の殺意に、みさきは脱兎のごとく逃げ出した。  はぁ、溜め息を吐いて浩平に向き直る。が、浩平は居なかった。 「はぇ〜、逃げられてしまいましたね、茜さん」 「そうですね」  にこやかに話しかけられ、それでも茜は佐祐理を睨みつけた。瞳に冷凍の魔力が備わった今でも、佐祐理は相変わらず動じない。 「負けません」 「あははー、佐祐理も負ける気はありませんよ」 「何故?」  本気で負ける気のなさそうな佐祐理に、つい聞いてしまった。きっと、腹が立つ理由を言うと分かっているのに聞いてしまった。直ぐに後悔したが、もう遅い。 「茜さんの反応が面白からです」  予想通りに、腸が煮えそうな、もとい、煮詰まりそうな理由だった。 「絶対に負けません」  こんな人に浩平を盗られたくない。その思いを強くする。もっとも、そんな反応を示すから、佐祐理に面白がられているのだが、そのことに茜は気付いていなかった。 「でしたら、早く魅了の魔法覚えないと、手遅れになりますよ」 「・・・・・」  この人は、どこまで手段を選ばない人なのだろう。自分をからかうためだけに、好きでもない人に魅了の魔法なんか使わないでください、と思わずにいられない。 「では、佐祐理は浩平さんの所へ行きますね」  言葉と共に、佐祐理の姿はかき消えてしまった。 「待ってください」  虚空に向けて声を上げ、茜は走り出した。  瞬間移動した佐祐理より早く、大好きな浩平の元へ行くために。  でもきっと佐祐理より早くたどり着ける。確固たる確信があった。 「・・・・・」  予想通り、浩平は屋上にいた。が、予想に反して佐祐理もいた。けれど、何故か様子が変だった。  浩平と佐祐理が何かを話している。茜には聞こえてこないが、浩平が真剣な表情をしていたから、真面目な話をしているのだけは分かった。  何を話しているんだろう。浩平と佐祐理が二人っきりで話をしている。その光景を見るだけでズキリと胸が痛んだ。  割り込もうか。そう思って一歩踏み込んだとき、佐祐理が茜に振り向いた。 「早かったですね、茜さん」  佐祐理はいつもの笑顔で茜を見やると、 「振られちゃいました」  いつもの口調でそう言った。 「悪いな、茜。本当はもっと早く言っちゃえばよかったんだけどな」  バツが悪そうに頭を掻いて告白する浩平に、茜は飛びついた。 「そんなこと、ない、です」  嬉しくて涙が出そうだった。 「やっぱり俺は、茜が好きだ。だから・・・」  ずっと一緒にいてくれ。そんなことでも言ってくれるのだろうか。期待に胸をときめかせていると、 「膝枕で寝させてくれ。さっきから、我慢、出来なく・・・」  しょうもないことを口走ってくれた。思わず彼を睨みつけてしまい、動けなくなる程度に氷漬けにしてしまった。  後ろから、楽しそうな笑い声が聞こえてきた。  くるりと振り向くと、佐祐理がものすごく楽しそうに茜を見ていた。 「何を、したんですか?」  睨みつけて佐祐理を、その周りを凍らせてゆく。 「茜さんと一緒にいるだけで、強制的に睡魔に襲われるようにしたんです。数分一緒にいるだけで、まず我慢できなくなって眠ってしまいますよ。一緒にいる限り、起きることもありません」  まったく、変な魔法をかけてくれたものだ。 「あ、膝枕は本人の希望で、魔法の効果ではないですよ」  あれで結構余裕があったらしい。それともいつもの執念だろうか。少し気になるが、迷惑な話には変わりない。 「浩平を、元に戻してください」 「佐祐理と浩平の中を認めてくれたらいいですよ」 「嫌です」  考える間もなく答える。考えても答えは変わらない。答えはそれしかない。 「でしたらがんばって修行して、ご自分で何とかしてくださいね。佐祐理は帰りますから」  言うが早いか、佐祐理はどこからともなく取り出したステッキに座り、ふわりと飛んでいってしまった。 「・・・」  氷の彫像と化した浩平を見やる。 「はぁ・・・」  氷の魔法を解くと、浩平はゆっくりと崩れ落ちてしまった。  側に近寄り、ご希望通りに膝枕をする。けれど、茜と一緒にいる限り眠り続けるのなら、多分膝枕に気付くことはないだろう。もっとも、気付かれるとまたやってくれと五月蠅そうだし、気付かれないほうがいいに決まっている。 「でも、どうしたものでしょう」  茜が離れない限り、浩平は起きない。起きたときに茜がいないと、浩平はきっと拗ねる。 「少しくらいなら、このまま二人っきりというのも悪くないかもしれませんね」  静かな浩平というのも新鮮だ。寝顔を眺めつつ思った。 「このまま、授業をサボってしまいますか」  授業を含め、後のことなんか今は知らない。茜に出来ることは多分、浩平を実験台に解呪を試すしかないのだから。  なら今は、せめてこの小さな幸せを噛み締めていよう。  この、願いが叶う場所で・・・・ おわり